→後編・鏃と弭


深い深い森の中、そこに住まう誇り高き狩人達の若く強い戦士。次期族長にも既に任命され、常に皆の期待と尊敬を集めている――それが僕だ。

特に弓の腕は誰にも負けないと自負している。小さな虫一匹だって僕から逃れる事は出来ないのだから。それに僕は人一倍運が良い。世の中の不運や災難は僕には降りかからないように出来ているのだ。

長く続いた雨がようやく晴れたある朝、見張り番をしていた僕は山の向こう側の斜面を歩く集団を見つけた。族長からは何も聞かされていない。

つまりは侵入者、神聖な森を荒らすもの、そして僕の弓の的だ。

よりによって僕が見張り番の日にここを通るなんて、彼らは運が悪過ぎる。僕は大きな一つ目を模した伝統の仮面を被り、気配を消したまま獲物の集団を物色し始めた。大きいトカゲのような変な動物に、女子供まで連れている。そんな面々でこの森に入るなんてちょっと危機感に欠けてるんじゃないかな。この森に僕らがいる事を知らない訳ではないだろう。怒りを通り越し、若干の憐れみすら感じながら弓を構えた。

狙うなら一番強そうな奴を見せしめに仕留めてしまうのが良い。先頭を呑気に歩いている白い服の男、お前にしよう。大きな斧を担いでるけど、そんな物はこの森で役に立ちはしない。残りの連中は、逃げるようならそのまま見逃してやってもいい。せいぜい僕らの恐ろしさを宣伝してくれればいい。

僅かな物音を木々のざわめきに隠しながら先頭の男に狙いを定めた。このまま放てば矢はいつも通り吸い込まれるように獲物に突き刺さり、その命を奪うだろう。

「……!」

思わず息を飲む。いざ矢を放とうと気を高ぶらせた瞬間、先頭の男は急に立ち止まり、殺意に満ちた目でこちらを見たのだ。

驚いて指が滑り、情けなく軌道を逸れた矢が男の足元に突き刺さる。男の視線が一旦その矢に向けられ、そしてもう一度こちらに向けられた時、僕は無様に逃げ出す事しか出来なかった。目が合ったその瞬間に僕のプライドは粉々に砕け散っていた。

「はぁ……ハァ……っ!」

恐い。恐い。恐い。まだ追って来る。食糧や武器、貴重品まで全部捨てたのにあの男まだ追って来る。

集落の方に逃げなかったのは正解だった。このまま僕さえ逃げ切れば何とかなる。こう見えても逃げ足には自信があるんだ。この谷を過ぎれば森の最深部、隠れる場所なんていくらでもある。

様子を窺おうと後ろを振り返った瞬間、右足が出っ張った木の根に引っ掛かり、勢いよく体が地面に叩きつけられた。

転んだ? この僕が転んだ? 不注意で転んだのは初めてだ。こんな肝心な時に運に見放されるなんて。

重く空気を切り裂く音と同時に、慌てて起き上がろうとした背中がかっと熱くなった。見れば目の前の大岩にあの男が持っていた斧が、刃が見えなくなるまで深々とめり込んでいた。どうやらあの男が投げたらしい。

もしあのまま走り続けていれば、僕の体は真っ二つにされていただろう。その光景を想像して血の気が引き、恐怖のあまり跪いて許しを乞おうかとも考えたが、恐らく無駄だ。追いつかれたら最後、話も聞かずに叩き殺されるだけだろう。あれはそういう男だ。