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夢を見ていた。  束の間、痛みから解放された彼女は自らの人生を遡る。  戦士デュケ。そこにはいつも奴がいた。

デュケが森の民マーロウ族の戦士として認められたのは、彼が11歳の時だった。体が成長するまで待つべきと周囲は止めたのだが、本人の強い希望もあり、結局は異例の早さで戦士デュケは誕生した。その神憑り的としか言いようのない弓の腕は既に誰もが認めるところだったからだ。  しかし年若い彼にはやはりお目付け役が必要で、その役目を任されたのが族長の娘でありながら自ら戦う事を選んだキアス・オトストト――戦士キアスだった。 「戦士キアス、あなたは僕より弱い。でも僕を恐れない」 「恐れぬ者こそ戦士だからな。それ以前に、お前など恐るるに足りん。弓の腕だけが強さではない。そして強さだけで戦士が務まる訳でもない」  なるほどと彼は頷き、戦士キアスに掴みかかったかと思いきや、次の瞬間には背中を地面に叩きつけられていた。呆然とした様子で空を見上げ、もう一度なるほどと呟いた。  彼は最初からこんな調子だった。媚びるような真似だけはしなかった。  掴んだままの手を引いて起き上がらせ、撫でやすい位置にあった小生意気な頭に手を伸ばしたところで、ぐにゃりと視界が揺らぎ、混ざり、溶けていく。  そうだ、これは夢なのだとキアスは思い出した。

「戦士キアス、大丈夫か?」  次に気が付いた時、あの癖毛の頭はキアスの目の前にあった。何がどうなってこんな事になってしまったのか、彼女にはわからない。雨に濡れて冷えた体を背負うその背中がとても温かかった事だけを覚えていた。

獲物を取り逃した末に返り討ちに遭い、デュケに救われたのだという話は、数日後に目を覚ました時に聞いた。肩に深手を負い、しばらく弓を持つ事はできなくなった。そして戦士キアスは、ただのキアスになった。自らの戦う事を選んだ彼女にとってその肩書きを失う事は、半身を失うに等しい出来事だった。  その頃には戦士デュケも成長し、弓だけでなくあらゆる分野で彼に敵う者はいなくなっていた。お目付け役ももはや必要ない。  最強の戦士デュケの完成により、戦士キアスも必要とされる存在ではなくなっていたのだ。

再び、夢の中の時は崩れるように溶け、流れていく。肩の傷はとっくに癒えていたが、戦う事もできず、死ぬ事も許されず、キアスは無為な生活を続けていた。

その日の村は何かおかしな雰囲気だった。祭の前日のような、それでいて戦の最中のような。キアスは父である族長に呼び出され、集会所へと赴いた。そこに一人佇んでいたのは、戦士デュケだった。こうやって顔を合わせるのは実に数年振りになる。 「キアス、僕はあなたを妻にしようと思う」  族長から言われたのだろう。次期族長の座を戦士デュケに譲るにあたって、娘達の中から嫁を取れと。そういう噂だけは流れていたが、どうやら現実になったらしい。  彼の決定は次期族長の決定。そしてキアスを呼び出した現族長の決定でもある。断る理由も権利もない。ただ、何故自分を選んだのか、という疑問だけがあった。  キアスには姉妹が多かった。彼に恋慕を伝える者もいたし、年の近い者もいた。ギアスの他にも戦士となった者もいた。選択肢は決して少なくないはずだった。キアスは決してその中での有力候補ではなかったはずだった。

「お前が何を考えているのかわからない」 「わからない?」  ある日、ぽつりと漏らした言葉に返事があった。キアスもデュケも元々口数が少なく、共に暮らすようになってからもほとんど会話がなかった。だからこんな無駄口は珍しい事だった。  堰を切ったように今まで抱えていたものが溢れ出す。 「ああ、わからない。何も考えていないのではと疑うほどだ。……お前は何故私を選んだ? 幼い頃の恨みをこんな形で晴らすつもりか? それとも戦士にやめた私に対する哀れみか? どちらにせよ無駄な事だ。お前は強い。それは認めよう。だから己の人生はもっと有意義に使うんだな。他に何人か妻を娶ったらどうだ? お前を夫にしたがっている者なら大勢いるだろう」 「あなたは何も恐れない。僕と一番近しい者はあなただと思う」 「どうだか」 「だから一緒にいるならキアス、あなたがいい」  その言葉に対して、なんと返したのかキアスは覚えていない。実際には何も言い返せていなかった。何か言おうとして口を開いたが、言うべき言葉が見つからずにそのまま閉じただけだった。  デュケは表情も乏しく、口数も少なく、考えの読み取りづらい男だ。だが言葉に下らない嘘を乗せて取り繕うような真似だけは絶対にしないと断言できた。  彼は最初からそうだったのだから。


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鏃と弭②