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町の外まで逃げて追っ手がいない事を確認すると、改めて俺達は腰を据えて話をした。俺が空腹だと知ると、メンカリナンは火を起こして食事を用意してくれた。 「他人に振る舞うほど料理は得意じゃないのであんまり期待しないでくださいね? あっでもこのお茶はすごーく美味しいやつですよ」  久し振りの温かい食事だ。味なんて気にならない。みっともないくらい必死に貪り食う俺の姿を、メンカリナンは優しく見守ってくれていた。 「なるほど、君には星読が使えないんですね。星読が使えればある程度スピリアの気配や位置、私の場合触れれば名前くらいは読み取れるんです。でも私には君みたいな怪力はないから、個体差があるんですね。なるほどなー」  星読という知識はあったがどうやら俺には使えない力のようだ。触れられた時も何も感じなかった。しかし道理で逃げてもすぐに見つかる訳だ。こっちは川にまで飛び込んで外套を捨てる羽目になったのに。  俺を追いかけ回していた時の事を楽しそうに話すメンカリナンを恨めしく見つめたが、詫びのつもりなのかなんなのか笑いながらお茶のおかわりをどんどん注いでくるので文句が言いづらい。確かにこのお茶はすごく美味い。 「でもなんで俺を追い回したんだ……」 「そんなの決まってるじゃないですか!」  急に語気を強めたそいつが俺の手を両手でがっしりと掴む。危なくお茶が零れそうになった。 「ようやく仲間に出会えたからですよ!」 「ああ……」  なんだか拍子抜けしてため息が漏れた。そうか、それなら合点がいく。むしろ何故それに思い至らなかったのだろう、もし俺が逆の立場だったなら同じように追いかけ回していただろうに。 「よかったよかった。ありがとうエルナト、我々の出逢いに感謝! これこそ正に星の巡り合わせというものかもしれませんね」  そのままメンカリナンがあまりにも嬉しそうに抱き着いてきたから、なんだか俺も嬉しくなってきた。温かくて優しくて心が安らぐのを感じた。  親兄弟ですら不気味がり、誰からも疎まれた俺の存在を純粋に喜んでくれる人と出逢えた。初めて本当の自分を隠さずにいられる。その実感が湧いてきて、それから俺も柄にもなく饒舌になって今までの事を話した。メンカリナンに聞いてもらうと、生まれた時から俺を支配していた怒りや、のしかかっていた不安や重荷が一つ一つ下ろされていくように感じた。 「辛かったんですね。もう大丈夫ですよ」  そう言われて肩を叩かれて、俺は自分が泣いている事に気が付いた。そうか、俺は辛かったのか。 「うん……辛かった……」  それ以上俺が何も言えなくなってしまうと、メンカリナンはお茶にどっさり砂糖を注いで差し出してきた。意味がわからなかったが、甘いお茶もこれはこれで美味しかったし、なんだか気持ちが落ち着いた。

「ところで、君はどこへ行こうとしていたんです?」 「どこへってほどじゃないが、海に行こうと思って。西へ行けば海があるんだろ?」 「海いいですね! 一緒に行っていいですか? 案内しますよ、行きましょう!」  言うや否やメンカリナンは広げた荷物を片付け始める。 「え、え?」 「まずさっきの町で色々買い出ししますね。大丈夫、大きい町ですからちょっと場所を変えればわかりません。エルナトはとりあえずついてきてください。もちろん壁は砕いちゃダメですよ。なんでまだお茶飲んでるんですか、さっさと飲んで。はい立って。あー汚いこれは服も買わなきゃ」 「待って……」  思考が追いつかない。おかしい、とりあえず俺の旅についていっていいかという申し出だった気がする。まだ了承した覚えもない。何故主導されているのか。だが俺はメンカリナンの謎の勢いに押され、言われるがままについていった。

「いいですねこのポンチョ、似合う似合う。帽子も合わせましょうか」 「は、派手すぎないか……?」  まずは服屋で身だしなみを整えようという事になった。汚れた俺の格好を見て訝しんだ店員に俺は怯んでしまったが、代わりにメンカリナンが川に落ちたのだと弁明してくれた。それで店員も俺の不自然な態度を恥ずかしがっているだけだと思ってくれたようだ。 「エルナトは髪色が明るいからそれに合わせた方がむしろ自然なんですって。隠そうとするから逆に怪しくなる。というかその伸び放題の髪もすっきり切った方がいいと思うんですけど……まあそれは保留にしますか。んー帽子も有りで全体で見るとなんかクラゲみたいですね」 「クラゲ?」 「海の生き物ですよ、ゆらゆら~としてて……刺す」 「刺す」  メンカリナンのくねくねと手足を揺らす仕草からはどういう生き物なのか想像がつかなかったが、刺すというのだから強い生き物なのだろう。 「……うん、いいな。クラゲすごくいい」 「気に入ったならよかったです。海に行ったらクラゲも探しましょう。……じゃあ、これとこれください。このまま着ていくんで値札とか外してもらえますか」  店員にも似合うと言われ、なんだか照れくさかった。自分でも鏡で全身を見てみると気分が高揚するのを感じて自然と頬が緩んだ。着飾るという楽しみを初めて理解した気がする。 「おや、いい笑顔じゃないですか〜」 「そ、そうかな、ありがとう……」  こんなに良い気分で町を歩くのは初めてかもしれない。いくつか店を回って旅支度をするメンカリナンについて歩く。何を買うかどう使うか細かく説明をしてくれるので全く退屈はしなかった。 「それじゃ準備も出来たし行きましょう、海へ! あ、もし道中危ない目に遭ったら任せてもいいですか? エルナトは強いから」 「わかった。戦うのは俺がやる。俺は強いから任せてくれ。荷物、重くないか? 俺が持つよ」 「えー、まさか持ち逃げ……」 「するか! しても見つけられるだろお前は! 持つから貸せ!」 「あ~強奪したひどい」  こうして俺達の旅は始まった。初めて俺に訪れた幸せな時間だった。

道中もメンカリナンは休みなく色々話をしてくれた。生い立ちや趣味、今まで行った町ややっていた仕事、どれだけ仲間を探していたか。俺もメンカリナンの話を聞くのが好きで、気に入った話は何度もリクエストして詳しく聞かせてもらうほどだった。絵本の読み聞かせをねだる子供のようだと笑われた。  メンカリナンは普通の人間として暮らしていたが、ある時からスピリアとして覚醒し歳を取っても外見が変わらなくなり、不審がられる前に名前を変えて町を転々とする生活を繰り返していたらしい。だから話すネタには事欠かないのだと笑っていたが、俺には笑い事に思えなかった。それはどれほど長い孤独だったのだろう。  そんな生活だったから旅の知識も多く持っていて、森で採れる食べられる植物や動物の捌き方、道具の代わりになるものを教えてくれた。だが実際それらを採るのは苦手なようで、その辺りの肉体労働は俺が担当した。他にも山賊や獣に襲われた時は俺が戦い、手配されていた時には憲兵に突き出して報奨金を得る事もあった。本来なら俺達も捕まる立場なのだが、気付かれることはなかった。自分で稼いだ金は自分で好きに使えと言われたので、俺もメンカリナンの欲しがっていた物を買ったり飯を奢ったりと好きに使わせてもらった。メンカリナンが喜んでくれれば俺も嬉しいし、それが俺達に必要な物なのだろう。  普通の人間を装うための訓練もしてくれた。俺があちこちで騒ぎを起こしてしまうのは恐らくこの怪力のせいだ。なのでメンカリナンと軽く力比べをしてみたり、走って競争してみたりして俺は力加減を覚えていった。時々うっかり怪我をさせてしまう事もあったが、メンカリナンは決して失敗を責めずに根気よく付き合ってくれた。

そうしていくつかの町や村を通り過ぎた。メンカリナンが言うには、もうすぐ目的地である港町に辿り着けるらしい。  もちろん一緒に海を見るのは楽しみだが、その後はどうするのか、俺は考えていなかった。メンカリナンは海まで案内するとしか言っていない。だから、それが、終われば……?  俺は正直に言えばこの旅を終わらせたくない。一人に戻りたくない。いつまでも二人で旅をしていたい。メンカリナンだってせっかく会えた仲間から離れたくはないはずだ。あんなに喜んでいたのだから。  だからきちんと話さなくては。だがどう話を切り出そう、海の次に行く場所を考えなければ。そう思って食事の後片付けをしているメンカリナンに目を向ける。しかし奴は作業の手を止めて、いつになく真剣な顔で虚空を見つめ何かに耳を済ませているように見えた。 「どうし」 「エルナト! 聞きました?!」  声を掛けようとしたらいきなりのタックルだ。完全に不意打ちを食らった俺はそのまま後ろに倒されてしまった。押し負けた。なんだか悔しい。 「仲間に会えますよ!」 「なに……?」 「あれ? もしかして今のは星読がないと聞こえなかったのかな。だとしたらエルナトはラッキーです。私が代わりに聞きましたからね!」 「だからなんなんだ……ちゃんと説明してくれ」 「カペラが仲間を募っていると、東の果てへ来てくれという声が聞こえたんです! もう数十人は集まっているようで、ハダルという方がですね、多分遠くのスピリアに言葉を届ける能力があるんでしょう、そう呼びかけてくれました! うおーーーーっ!」  メンカリナンは押し倒した俺の腹を勢いのままにバシバシと叩いたかと思えば、顔を伏せて雄叫びを上げた。声が腹の中に響いて気持ち悪い。 「な、仲間が、東に?」  道中もメンカリナンは仲間が近くにいないかずっと星読で探っていたが、成果はなかった。それが既に数十人も集まっているのだと言う。 「そう、だから、あのー、行き先……東の海に変更しません?」  そうなると西の海に向かっていた俺達はそのまま反転して元来た道を進む事になる。それは俺にとっては願ったり叶ったりだった。もはや海を見に行くなんていうのは、メンカリナンと一緒に旅をするための口実に変わっていたんだから。 「行く。俺も東へ行く。一緒に行きたい」 「いやでも東の海にクラゲがいるかどうか……」 「クラゲはどうでもいいんだよ!」  起き上がってメンカリナンを押し退ける。まだ旅を続けられる事ももちろん嬉しかったが、俺を誘ってくれた事が何より嬉しい。 「しかもカペラとは。自分と同じぎょしゃ座ですから親戚みたいなものです。もし会えるのなら一番会ってみたかった方です」 「ん、それで言うなら、俺だって親戚みたいなもの……じゃないか? なあ?」  何でも話してくれていたのにそんな話は聞いていない。なんとなく心がざわついた。いやきっと話すのを忘れていただけだ。まだまだ旅は続くのだからこれからもっとたくさんの話を聞かせてくれるだろう。それなら楽しみだ。


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