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そうして俺達の旅は改めて始まった。とはいえ元来た道を戻るだけなので特にトラブルもなく順調に進んでいった。俺がメンカリナンに初めに追いかけ回されていた道に差し掛かると、大して昔の事でもないのになんだか懐かしくなった。 「お前のせいでここで川に飛び込む羽目になったんだぞ」 「それはお茶とか服とかでチャラでしょう! 私だって話も聞かないで逃げ回られて悲しかったんですよ~、追いかけるの大変だったんですから」 「いきなりあんな風に掴まれたら驚くに決まって……」  つい言い返してしまいそうになるが、あの時のメンカリナンの執念がなかったら、俺一人のままだったらどうなっていただろうと思い直す。きっと途中で行き倒れていたか、兵士に捕まっていたか、運良く海まで行けたとしても……そのままふらりと身を投げてしまっていたかもしれない。 「……ん、いや……追いかけてきてくれて……あ、ありがとう……」 「聞こえませんよ! もっと大きい声で感謝してください!」 「聞こえてるじゃねぇか!」  軽く小突きあって二人でひとしきり笑った後、俺はこの道の先にあるものを思い出して血の気が引くのを感じた。どうして今まで忘れていたのだろう。元来た道を戻るという事は、当然スタート地点だって通らなければならないのに。 「どうしました? 眉間に皺が寄ってます。お腹痛いんですか?」 「なあ……俺の故郷は通るのやめないか? 迂回したら道が険しいのはわかってる。メンカリナンが辛かったら俺がおぶっていくから……だから……」 「うーん……やっぱり気になります? でも大丈夫、自分に考えがありますよ! それになるべく町には寄りたいんです。物資の補給は必要だし、他にも仲間がいるかもしれませんから」  そう言ってメンカリナンは鞄からあれこれと細々した道具を取り出して見せる。ブラシやペン、絵の具のようなパレット。何に使うものなのかと首を傾げると、メンカリナンは指で目の周りをぐりぐりとなぞるような仕草を見せる。 「は? 化粧道具か? まさか、俺に女装? 無理だろ」 「違う違う。ほら、この時期といえばアレ! 丁度エルナトの故郷でやってるでしょ。自分も住んでた時期があったから行った事ありますよ~、君が生まれる前かも知れませんけど」 「ああ……そうか、それなら……いや大丈夫かな……」 「大丈夫、観光客に紛れてさーっと行けばわかりませんよ。仲間がいたら声掛けますけどね」 「う、ん……」  結局押し切られる形で俺も故郷を通る事を了承してしまった。他の仲間になんか会えなくていいと言ってしまいたかった。それが本音だ。だがそれを言えば、この楽しい旅も友情も何もかもが壊れてしまう気がした。

そしてその日、故郷はセンパスチルの花があちこちに飾られ、町中がカラフルな装飾で彩られていた。人々は死者を模した骸骨のようなメイクと鮮やかな衣装で着飾り、お祭り騒ぎの町を練り歩いている。俺達もそれに倣って、人相がわからなくなるまで互いの顔に骸骨のペイントを施していた。メンカリナンにはメイクはいらないだろと言ったが描けと強要された。何故祭りを満喫する気でいるんだコイツは。  それでもやはり俺は不安で、知り合いに見つかりはしないかとビクビクして俯き、目立つ髪を帽子の中に押し込んで目深に被った。メンカリナンはそんな俺の様子に気付いてか背中を叩いて顔を寄せ、俺が描いた下手くそな骸骨顔でニッと笑う。 「もしバレたら『お前達のせいで死んだけど帰ってきたぞ~!』……これでいきましょう。完璧!」 「んな事言えるか!」  そう言いつつも軽口を叩いて少し緊張がほぐれた気がした。そうだ、メンカリナンがいてくれる。何かあっても代わりに言いくるめてくれるだろうし、いざとなったらまた担いで町を走り抜けてしまえばいい。俺一人で立ち向かう必要はないのだ。  ああそれにしても。オレンジ色の花に彩られたこの町の景色はこんなにも美しかったのか。以前は考えもしなかった。何度も見ているはずなのに、何もかもが新鮮で全く違うもののように見えた。 「綺麗だな。……祭、来てよかったかもメン……メンカリナン?」  いない。さっきまで横にいたのに。血の気が引いて慌てて周囲を探し回ると、奴はホクホク顔で紙袋を抱えてこちらへ歩いてきた。人混みを掻き分けて襟首を捕まえるが、奴には悪びれる様子もない。 「いやあ、さっきのお店の焼き菓子が美味しそうでつい」 「声くらいかけろ! 俺を一人にするな! 俺はお前がどこにいるかなんてわからないんだぞ!」 「ちゃんとエルナトの分も買ってますって。ほら良い匂い! もー、そんなに寂しかったなら君こそ目を離さないようにしなさいよ」  おう、そうかこの野郎。やはり担いで運んでやろうか。  町を出るまで俺はメンカリナンに前を歩かせ、首根っこを凝視しながら行く事にしたのだった。

その日はとても暑かった。日差しで体力が奪われたのかメンカリナンはかなり辛そうで、日除けに俺の帽子を貸してみたものの既に焼け石に水。結局日が高くなる前に木陰に座って休む事にした。風があるのが幸いだ。ここでしばらく休めば問題ないだろう。  休憩をしながらもメンカリナンは膝の上で地図を開いてこれからのルートやペース配分を考えているようだった。普段の言動はいい加減だが、実際は慎重で冷静で頼りがいがある奴なのだ。俺が一緒になって地図を覗き込むと、見やすいように地面に広げて今向かっている町とその先を指差した。 「ここから先は私も行った事がないんですよ。マードックは親王派ですからあまり近付かないようにしていたんです」 「親王派? ……スピリアに厳しいって事か」 「その通り! エルナトも賢くなりました! だから今まで以上に気を付けて行かなきゃいけないって事ですね。でもまあ大丈夫でしょう!」 「全然根拠がねえな」  しかし俺はメンカリナンのこういうポジティブなところに何度も励まされ救われてきた。実際俺達はメンカリナンの知恵と経験、俺の身体能力で色々な危機を乗り越えてきた。お互いがお互いの長所で助け合う良いコンビだと自分でも思う。 「メンカリナンは……仲間達に会えたらどうするんだ?」 「仲良くなれるといいですね〜! というか私は、仲間に囲まれていっぱいお喋りして楽しく暮らしたいだけなんです。エルナトだってちゃんとしてればいい男なんですからきっとモテますよ~。どんな子がタイプです?」 「いや、俺はそんな……そ、そんなの別に……」 「……逃げ続けるだけの人生は辛いですよ、エルナト」  今までに聞いた事のないくらい静かな声にそれ以上俺は何も言えなくなってしまう。本当に俺を気遣ってくれているのは理解出来る。俺も長く旅を続ければいつかはそういう考えに至るのだろうか。それはいつだろう、少なくとも今ではない。  気持ちの整理がつかず俯く俺の肩を、突如メンカリナンが慌ただしく揺する。 「エルナト、仲間がこっちに」  顔を上げる前にそのまま肩を思い切り突き飛ばされて視界がぐるりと回った。後ろは斜面になっていたので、俺はバランスを崩して下まで落ちてしまった。メンカリナンに不意打ちで転がされるのはこれで二回目だ。 「なんなんだよ!」  起き上がった俺の目に入ってきたのは、走り去る見知らぬ人影と倒れゆくメンカリナンの姿だった。何が起こったのかわからないまま俺は斜面を駆け上がってメンカリナンの傍に膝を着く。 「メンカリナン!」  腹を押さえた指の間から夥しい量の血が溢れ出ている。俺も慌てて上から手を重ねてどうにか出血を抑えようとした。 「……どうして……アルデ……」 「喋っちゃダメだ!」 「仲間……仲間に……会いたい……」  メンカリナンの意識は今にも途切れそうで、俺の声も聞こえていないのかうわ言のように仲間を求めている。 「俺がいるだろ、メンカリナン。俺がいる。俺を見ろ」  どうして俺を無視するんだ。お前の仲間は俺だけだ。それを今思い知ったはずだ。目を閉じたメンカリナンの顔を覗き込む。 「なあ、俺がいつもいるだろ」  お前の事は何でも知っている。喋り方も考え方も仕草も生い立ちも好きな事も笑い方も。全部教えてくれた。 「絶対に助けてやるから……お前を死なせたりしないから……だから、俺を一人にするな……」  目の前が暗くなる。その後の記憶は幼少期と同じようにあやふやだ。きっと……思い出してはいけないのだろう。

随分時間がかかってしまったがようやく次の町に着いた。人の多い町だから物資の補給には困らなそうで助かる。だがもう少しで問題のマードック領、口には出さないものの相棒が不安がっているのが伝わってきた。相変わらずの心配症だ。 「大丈夫、私がついてますからね」 「……俺はメンカリナンがいるから大丈夫」 「よし、行きましょう! 危ない事はエルナトに任せて、私は賑やかしとその他雑務です!」 「それでいい。好きなようにしてくれ」  ふと横を見ると、子供達が不思議そうに私を見ていた。地元の子供達だろう。私はしゃがんで目線を合わせ、帽子を取って笑顔を見せた。 「こんにちは! 私はメンカリナン、旅の者ですが……この辺りで良い美容室を知りませんか?」  エルナトは派手すぎると言っていたがやっぱりよく似合っている。せっかくだから髪も整えたい。まず伸び放題の襟足はバッサリ切って、いやいっそ刈り上げて……うん、その辺はプロの美容師と相談しよう。  流石に子供達から美容室は聞けなかったが、ありそうな場所は教えてもらえたのでお礼にお菓子を与えてその場を離れた。 「でもそろそろ所持金が心許ないんですよね」 「また俺が何か日雇いの力仕事やるよ。一番手っ取り早いからな。その間、話し相手にでもなってくれ」 「いいんですか! ありがとう、それくらいなら喜んで協力しますとも」 「でも……静かに会話する方法考えないとな……なるべく声出さないように……」 「やってみましょう。……ますか……聞こえますか……エルナト、今あなたの心に直接語りかけています……」 「声出てるわそれ」  子供達の方へ振り返る。彼らはまだ訝しげに私達を見ていたが、私が笑顔で手を振るとぎこちなくではあるが同じように返してくれた。知らない大人に少し警戒しただけで、特に問題はないだろう。

「……あの人、旅芸人さんなのかな?」 「あっそうかも! じゃあお芝居の練習してたんだ!」 「変な人かと思っちゃった」 「ずーっと一人で喋ってたもんね」

俺はエルナト。相棒はメンカリナン。  俺達はいつまでも一緒だ。もう決して離れる事はない。


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