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→後編・夢の終わり


先立ってマードック流の婚礼の儀が行われた。花嫁であるコーデリアは頭から胸までをすっぽりと覆い隠す厚い純白のベールを被り、仲介役である長兄のアーネスト王太子に手を引かれ、自らの足元しか見えない状態で出席者達の間を歩いていく。待ち受けるクリスティアーノは、これから義理の兄となるアーネストの前に跪いて両手を差し出し、一振りの短剣を受け取る。そして一礼するとコーデリアの背後へと回った。 「目を閉じて」  初めに見るものは夫の顔でなくてはならない。声を抑えて囁くと、ベールを留めていたリボンを短剣で切り離した。するりと落ちるベールをアーネストが受け止め、花嫁の顔が皆に披露される。クリスティアーノは父のメルキオッレから赤い花の冠を受け取るとコーデリアの正面に回り、目を閉じたままの彼女の頭にそれを乗せた。 「生涯をかけてあなたを愛すると誓います。あなたを伴侶とする事をお許し下さい」  その言葉を合図に、コーデリアは目を開く。いつになく固い表情のクリスティアーノの顔を見て優しく微笑んだ。感極まって溢れそうになる涙を堪えながらクリスティアーノはその額にキスをして、跪いて彼女の片足を台に乗せる。余談だが、しきたりではこの時点で夫が気に入らなければ、跪いた瞬間にその顔を蹴り飛ばせば破談になる習わしだ。それもあって少しだけ緊張しながら、クリスティアーノは「本当にいいのか」と問うように少しの間を開け、その爪先にキスをした。 「許します」  コーデリアがその言葉を口にした瞬間、わっと歓声が上がった。厳かな儀礼はここで終わり、盛大な拍手と少々下品な野次が夫婦となった二人に送られる。ここからはもはやただの宴会で、各々が好きに過ごしてもいい事になっていた。小柄なコーデリアはクリスティアーノの妹達に取り囲まれ、ほとんど埋もれながら祝福を受けている。義理の姉となったものの、この中では最年少なので可愛い妹が増えたといった雰囲気だ。 「クリスティアーノ公」 「アーネスト王太子、この度は仲介役をお受け頂き、ありがとうございます」 「実の所心配していたが、貴方ならば妹を任せられる。我が儘な妹だが、どうかよろしく」 「はい、お任せ下さい。彼女に頼られる事は僕の喜びですから。それでは、僕のお姫様を助けに行かないと」  酒が回ればここは本来のマードックらしい騒々しい宴会場に変わる。その前にクリスティアーノはコーデリアの手を引いて会場を抜け出した。誰も止める者はいない。ただ微笑ましく見送るだけだ。

連れていった先は屋敷の屋上だった。肩を並べて遠くまで見渡せるこの場所が、なんとなく二人には心地よかった。ぼんやりとした月明かりの下、お互いの顔はよく見えなかったがその表情は手に取るように伝わっていた。きっと相手も自分と同じ表情を浮かべていると。 「ドキドキしたあ。マードックの結婚式って意外と厳かなのね。あんまり静かだから、ちょっと笑っちゃいそうになったけど」  花嫁のベールを刃物で剥ぐ由来、純白のドレスに赤い花の冠の意味。これを知ればコーデリアの認識も変わるかも知れないが、せっかくの感動に水を差すのは野暮だろうとクリスティアーノは口を噤んだ。 「ディリィはすごく綺麗だった。僕は幸せ者だよ、本当に」 「クリスは緊張して変な顔してたけど」 「うっ、ごめん……こんな時まで情けない夫で……」 「ふふっ、いいの。クリスのそういう所、私は好き。何でも一人で完璧にこなしちゃう人なんてつまんない。そんなの、私がいなくてもいいじゃない?」  そう言ってコーデリアはクリスティアーノの肩に寄りかかった。じんわりと伝わる温かさに目を細め、穏やかな呼吸のリズムに合わせて心地良さそうに息をついた。 「クリス、あったかいね」 「寒い? もう中に入ろうか?」 「そうじゃなくて、ただの感想よ。あ、まさかクリス、もしかして……」  言い淀んで袖を引っ張るコーデリアを見て、何が言いたいのかは大体伝わった。二人で赤くなって眼下の宴会の明かりを見る。タイミング良く、酔った誰かの豪快な笑い声が響いた。主役が不在でも宴会は大盛り上がりのようだ。 「そ、そういうのは、王都での結婚式が終わってからにしよう。僕達はまだ半分しか式を終えてないんだから、うん。ディリィに出会って、夢とかロマンとか素敵な恋物語とか、そういうのっていいなぁって思ったから、もうちょっとドキドキを高めておきたいかなぁ」 「そうね、じゃあそうしましょ。心の準備とか、私にも色々あるのよ」 「その前に、今度は僕が王都式の段取りを確認しなきゃね。それが終わったら、南に新しく家を建てようかな。景色の良い場所に大きなバルコニーのある家を建てて、広い庭園を作ってたくさんの花を植えて、僕とディリィと子供達が住むんだ」 「ふふ、おとぎ話の王子様とお姫様みたい。そして二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました、ね?」 「ディリィのお陰でロマンチストに転向しましたから」  初めに出会った頃の、クリスティアーノの瞳を曇らせていた影は完全に消え去っていた。 「ディリィ、愛してるよ。君にこうして気兼ねなく気持ちを伝えられる事が、何より嬉しい」  クリスティアーノは幸福感を噛み締めるようにコーデリアを抱き寄せた。王都での結婚式は一週間後の予定だ。きっとまた大きな幸福が二人を包むだろう。

その日は雲一つない晴天に恵まれた。  ハドリスでのマードック流の結婚式が親類達による厳かな儀式ならば、王都パゼーでの結婚式は国民全てを巻き込んだ盛大な披露宴だ。ウエディングドレスも先日の肌を覆い隠すようなものから、コーデリアらしい華やかで可愛らしいデザインのものに変わっていた。それを皆より一足早く見せびらかそうとクリスティアーノの控え室に向かったコーデリアは、その姿を見つけると逆にあっと声を上げた。 「クリス、髪切ったの?!」 「切っちゃった。パゼー風にしてもらった。似合うかな?」  背中まであったクリスティアーノの黒髪が、マードック家のトレードマークとも言える三つ編み部分を残してばっさりと切られていた。というのも数日前、コーデリアが侍女に対して「マードックの男の人ってどうして髪を伸ばすのかしら。皆長髪だからちょっと気持ち悪い」とぼやいているのを聞いてしまったのだ。そう言われてしまっては切るしかない。 「びっくりしたけど……格好良い。うん、似合ってる。そっちの方がずっといいわよ。クリス、そうやって時々格好良くなるのずるいわ」 「よかった。ディリィも新しいドレスすごく可愛いよ。それを言うなら、何を着ても可愛いディリィだってずるい。行こう、そろそろ時間だよ」  王都での貴族階級の結婚式の夫の衣装は白銀の甲冑が基本で、クリスティアーノの場合はその上からマードック家の紋章のあしらわれた深緑のマントを羽織っていた。その姿に見とれていたコーデリアが入場で一歩踏み出すのが遅れたものの、式は滞りなく行われた。腕を組んで王の前まで歩き、結婚の許しを得る。クリスティアーノには彼女の瞳と同じ色をしたカーネリアン、コーデリアには彼の瞳と同じ色をしたエメラルドの指輪が贈られた。そして大勢の民の見守るバルコニーへと姿を現すと、広場に集まった全員の前で誓いのキスをする。白い花弁が雪のように舞い、楽隊のファンファーレを掻き消すほどの祝福の声が上がる。クリスティアーノが目を開けると、コーデリアは感動のあまりポロポロと大粒の涙をこぼしていた。 「ディリィ見て、皆が僕達を祝福してるよ」  笑顔の戻ったコーデリアと共に手を振る。更に大きな歓声が上がった。

「いいなぁ、私も結婚式を挙げる時は同じくらい盛大にやらなくてはね」 「カーライル兄上は人気者だからきっと物凄く盛り上が……あ、どうだろう。人気がありすぎるのも考えものですね。兄上が結婚したらショックを受ける人、多そうです」 「そうかな? コンラッド、お前もショックを受けてしまうのかな?」 「全然」  そんな兄弟の会話もありつつ、国民へのお披露目を終えた式も和やかな雰囲気に変わっていった。会場には贅を凝らした様々な料理が運ばれ、出席した各地の諸侯達の舌を楽しませた。その中に見覚えのある顔を見つけ、クリスティアーノはあの時とは違うリラックスした表情でそちらへ近付いていく。 「やあ、どうも」 「クリスティアーノ公、ご結婚おめでとうございます。宣言通りになりましたね」 「お陰様で」  いつぞやの北国の青年貴族、シメオンだ。その傍らには彼の妻と幼い子供達。青年の妻は、夫はこんな大物と親しいのかと目をぱちくりさせ、子供達は身分など露知らず、頬に食べかすを付けながら無邪気に料理を頬張っている。  あの日の事はクリスティアーノにとっては少々苦い思い出だったが、今となってはコーデリアとの幸せな思い出の一部だ。今コーデリアにどちらがいいか尋ねれば、確実に自分を選んでくれるだろうという自信が、彼に余裕を持たせていた。この青年に嫉妬する要素は何一つないのだと。 「クリス、こっちへ来て」  夫が離れた事に気が付いたコーデリアが、大きく手を振って呼び寄せる。太陽の光を浴びた純白のドレスと愛しいコーデリアの笑顔の眩しさにクリスティアーノは目を細めながら、次はマードックに招待する旨を青年に伝えてその場を後にした。  政略結婚ではあったが、二人が深く愛し合っている事は誰の目から見ても明白で、これほど幸福な結婚はないと誰もが二人を祝福した。

宴は朝まで続き、翌日の王都の商店は半数が臨時休業となる有り様だった。「昨夜は王女の結婚式で忙しかったんだ」という言い回しが、しばらく王都での流行りのジョークとなったという。


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